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【同志少女よ、敵を撃て】レビュー(気になった内容)

『同志少女よ、敵を撃て』(著者:逢坂冬馬、出版:早川書房 2022 19版)

👇買ったっきり読めていなかったので、休みの間に読んでみた
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👇カバーを外すとこんな感じ、 血が空気に触れた色のようf:id:Tunkaron325:20220813105808j:image

目次は

プロローグ

第1章 イワノフスカヤ村

第2章 魔女の巣

第3章 ウラヌス作戦

第4章 ヴォルガの向こうに我らの土地なし

第5章 決戦に向かう日々

第6章 要塞都市ケーニヒスベルグ

エピローグ

で構成されている。

 

女性狙撃手

村はモスクワと村人40人ほどの小さな村で、村人は麦を耕しセラフィマと母親は裏山で狩り(野生動物が荒らすので)をする。作物の収益は、コルホーズなのでほぼ持っていかれるが、のどかな田舎でそこの暮らしを愛していた。ある日ドイツ軍が現れ村人は虐殺された。山から戻る道で気づき、セラフィマ(16歳)の母は銃の照準を合わせるが人を撃ったことがなく、ためらう間にイェーガーというドイツ狙撃兵に撃たれる。ナターリャさんと14歳のエレーナが死体となって転がっていた。頭と、それから足の間から激しい出血の痕があった。セラフィマもとらえられ暴行されそうになるところで赤軍兵士たちによりすくわれた。上級曹長イリーナ(女性)と出会う。戦うか、死にたいか、選択を迫られ、セラフィマは戦うことを選択、この後イリーナの指導を受け狙撃手になっていく。赤軍はイリーナの号令で村の家屋にも母親の屍にもガソリンをまき焦土としてしまう・・・。セラフィマはイェーガーとイリーナに復讐することを心に誓った。

物語りの始まりはこのようなことで、あとは怒涛のように話が展開していく。イリーナ率いる女性狙撃小隊は6人で(女性の狙撃手が軍の任務に就くというのはソ連だけのようだ)、カザフ人、ウクライナのコサックが混ざっている。最初はお互い腹の探り合いもする。コサックのオリガが言う、

ソ連にとってウクライナは略奪すべき農地よ」「ウクライナでは、みんな最初ドイツ人を歓迎していた。これでコルホーズが終わる。これで共産主義者がいなくなる」「コルホーズは解体されなかった、ドイツ民族はスラブ民族を奴隷にするためコルホーズを維持してウクライナの支配者になった・・・どういう意味か分かる?セラフィマ、コルホーズウクライナ人を奴隷にする手段なの、ドイツにとっても、ソ連にとっても」

(オリガはのちにNKVDのチェーカーになる。)

彼女ら女性狙撃小隊はウラヌス作戦で敵狙撃兵16人を葬ったが、そのうち12人を狙い撃ちしたカザフ人の狙撃兵アヤは、命を失った。

ウラヌス作戦総兵力110万人のうち、死傷者8万人前後、そのうちの1人、数字の一部になって、アヤの人生は、平原に葬られた。

なんのために戦う

作戦中逃げようとしたとして 歩兵大隊の隊長や指揮官たちに銃殺刑が宣告された。セラフィマはイーゴリ隊長の処刑は異常だと救済を嘆願するが叶わなかった。まもなく元帥になろうとする上級将校は、

「君の村がそうであったように、多くの村落が懺滅され人民が虐殺され、或いは労働力として連行された。奴らはユダヤ人を世界から抹殺することを国是として掲げ、また、ポリシェヴィキとユダヤ人を同列視している。ゆえにソ連人民は奴らにとって抹殺すべき者であり、或いは奴隷民族スラブ人として服従させる存在であり・・・余剰人口は抹殺すべき対象だ。奴らはソ連そのものの絶滅を企図している。この戦争に講和は成立しない。ソ連からたたき出しても、我らはベルリンを攻め落とし、ナチ体制の息の根を止めなければ。ヒトラー一人になっても戦いを続けるだろう」

レニングラードに転戦した時期、私は防御陣地を施し、 素人仕事同然であったバリケードを敵の侵攻を防ぎうる強度のトーチカへ発展させ、火線が互いに援護できるように調整し、徹底抗戦のための武器弾薬を補充して、そして士気阻喪に陥った将校どもを処刑した。 勝手に逃亡を試みたり、あるいは投降しようとした奴らだ」「それがレニングラードの人民を守るために必要だからだ。それは他の戦線でも変わりはしない。 ナチに交渉は通じない。これは通常の戦争ではない。軍隊が瓦解すれば全ての人民は虐殺され、奴隷化される。故に、組織的焦土作戦を用いて撤退する局面を除いては、踏みとどまって防戦することが、唯一、ソ連人民が生き残る術なのだ。 逃亡する兵士は、もはや敵であり、ファシストの手先なのだ」

セラフィマは言葉を返すことができなかった。

君は、なんのために戦う?

イェーガーという狙撃兵への復讐やナチス・ドイツへの復讐、イリーナへの復讐、それらは飲み込んで、

「味方を守り、女性たちを守るためであります」

「いい答えだ。この戦争で多くの女性が殺され、敵の辱めを受け、労働力として拉致された。 ならば女性を守るために戦え、同志セラフィマ。迷いなく敵を殺すのだ。ソ連赤軍の一員として君が任務を果たし、多くの敵を撃つことを期待する!」

ドイツから見たロシア

独ソ戦はドイツ・ナチスにとって、東方にドイツ人の生存圏を作り、優れたゲルマン民族が劣等人種のスラブ人を殲滅ないし奴隷化し、支配することを目標にしていた。

独ソ戦ソ連人・ロシア人は大祖国戦争と呼び、負けるわけにはいかなかった。ウクライナ人はロシア人が嫌いで最初はドイツに協力したがスラブ人だから酷い扱いを受け、ソ連人として生きるしかなかった。ソ連側も報復、住民虐殺、捕虜虐待を正当化した。

 

ロシアはフランスにあらず。およそすべてのドイツ兵が、そう感じた。イェーガーもそのような場面を目撃した・・・ロシア人どもは奪った捕虜に対しても残忍だった。少なくとも1941年夏の場合、勝利のさなかに捕獲されたドイツ兵は9割が殺害された。刺銃剣で滅多刺しにされたドイツ兵たちが、焦土作戦無人となった村に吊されている光景を見た。

村落を制圧すれば今度は住民がパルチザンとなって寝首を掻きに来る。そうなれば、敵の基地を焼くのと同様、正当な戦闘として村を焼かねばならない。

このような場面を見ればロシア人への扱いが乱暴になるのも無理からぬことであったし、その中にはコミッサール (政治委員)やユダヤ人が紛れ込んでいるかも知れない。なので捕虜たちは、 国防軍人が見下す親衛隊傘下のアインザッツグルッペン(虐殺部隊)に引き渡された。そこで 捕虜たちのほとんど全てが殺害されているという噂も聞いたが、いずれにせよ軍人たる自分の任務とは無関係だとイェーガーは思っている。

誰も彼も正当化の術を身につけた。

イェーガーは思い出す。モスクワ攻防戦の時期に最後に配属されていた部隊はイワノフスカヤとかいう村に迷い込んだ。女を襲って、食料を奪おうということになって、村人をパルチザンということにした。女猟師が指揮官を狙っていたから、狙い撃ちしたがどう見てもあれは素人の女だった。いや、味方を狙っていたんだ、正当だ。

復讐心が支え

クルスクの戦いが終わったときにはセラフィマの戦果は75名に達していた。陸軍の機関紙には魔女小隊とかかれ、畏敬と半ば嫌悪の目で女兵士たちは魔女と呼ばれるようになった。スターリングラード以来、セラフィマは訪れてくる将校や記者たちに身の上話を語りプロパガンダの的になるよう誘引する。記者たちは「家族を殺された村娘」「武器をとり多くのフリッツを倒した狙撃兵」「彼女が願う復讐劇」を書きたてる。セラフィマはメッセージを発した。私が仇を討てば、絶好の偶像を作ることができる、私にハンス・イェーガーを討たせろと。

記者は慌てて尋ねた、「最後に一つだけ聞かせてください、討った敵の顔を、夢に見ることはありますか」

「一度もありませんね」記者は挨拶とともに落胆の色を浮かべた。真の姿に迫ることはできなかったと考えたようだった。

――違うんだよ、私は本当に一度も、そんなことで苦しんではいないんだ。

 

侵略者によって、悲惨で残虐極まりない方法で、母を喪失、幼い友を喪失、自分をはぐくんできた村を喪失、それらの喪失に対して悲嘆してる時間もすべもないセラフィマを、おそらく、同じような、もしかしたらそれ以上の壮絶な苦しみを乗り越えてきた女性イリーナが救った。戦うか、死にたいか――イリーナもかつて選択したのだろう。この時代、ソ連にだけいたという女性狙撃手はみな男性兵士のばかりの戦場で戦い抜いた。 

平和ボケしているくせに、わたしは、この小説の中の彼女たちの思いにただただ涙があふれた。